【パチスロの歴史】パチスロの時代の変化と思うこと

北斗の拳筐体

1980年代に始まるパチスロブーム

1980年代、日本でパチスロが爆発的な人気を博しました。

当時のパチスロは、メカニカルな要素が強く、現在の筐体にある液晶画面のような、デジタル技術は発展していませんでしたが、シンプルが故の面白い点もありました。

リーチ目の多様さに、目押しや小役をフォローする為の打法等の、技術介入が強く求められるゲーム性が特徴でした。

プレイヤーたちは、熱狂的にパチスロを楽しむ一方で、過剰なギャンブル問題も指摘されました。私は数年間パチンコ店でバイトをした時に、パチスロのシマを担当することもありました。そのおかげで機種の仕様やプレイの仕方を覚えました。

 

2020年代に入ってからのパチスロ

2020年代に入ると、パチスロはデジタル技術の進化とともに大きく変化しました。

ネットワークを通じてサミーが提供しているマイスロ・マイパチのようなコンテンツも加わり、新たな楽しみ方も生まれました。

しかしながらパチスロはどの時代においても、楽しさといったメリットだけではなく、ギャンブル依存症の問題にも注目せざるを得ません。業界も4号機以降は、射倖性が高い機種の規制等の努力はしているものの、依然としてギャンブル依存症の問題は深刻であり、適切な対策が求められています。

 

年代によって大きく変化したパチスロの歴史

オンスロ 筐体タイプ

1980年代に比べて2020年代のパチスロは、より洗練された技術と深いストーリー性を持つようになりました。アニメや芸能人とのタイアップ機種が増えたことも要因でしょう。

プレイヤーは、単なるギャンブルとしてではなく、物語に没入し、キャラクターや世界観に感情移入することができるようになりました。これにより、単なるギャンブルからエンターテインメントへと進化を遂げたと言えます。

具体的に言えば、元々パチスロをやらなかった人が、好きなアニメがパチスロになったから試しにやってみたとか、逆パターンで、アニメは知らなかったけど、パチスロきっかけで原作を読んでみたら面白かったなど。

単なるギャンブルから、他のジャンルへの架け橋が見事に出来上がっています。

これは日本のパチスロ独自の流れと言っても良いでしょう。

 

パチスロの魅力

画像4

1980年代と2020年代のパチスロの根本的な魅力は変わらず、エンターテインメントとしての楽しさを提供しています。時代の変化に合わせて進化を遂げたパチスロは、多くのファンに愛され続けています。

このように、パチスロは時代とともに進化し続けるエンターテインメントの一翼を担っていますが、パチスロ・パチンコといったギャンブルは日本特有のゲームであり、諸外国で機種の開発等はされておらず、公式には存在しません。海外カジノにあるスロットと比較すると、パチスロは独自性を貫き、作り込まれたゲーム性で、全く引けを取りません。

 

パチスロのこれからと課題

個人的にいくら出来が良い!面白い!独自性がある!と思っていても、日本の文化の一つとして良いものに発展出来るかと問われると難しいのではないか、と思います。

日本の四季やおもてなしの心、アニメ等のように、パチスロが日本の文化として海外にアピール出来るでしょうか。今も昔も、インバウンドとしては、パチスロはあまり貢献出来ていないように思えます。

欧米諸国の旅行者がパチスロをやっているシーンを、見かけたことがありますか?私自身がパチスロ店で働いていた時も、客として他店舗に足を運んだ際にも、やはり、欧米諸国のプレイヤーを見かける事は非常に稀でした。

たまに遊びに来たとしても、すぐに止めて退店する人がほとんどでした。

 

どうやらカジノにあるスロットと比較すると、カジノがスタンダードな諸外国の人にとっては、以下のような理由があると考えられます。

日本のパチスロは出すまでの過程が非常に難しい
日本のパチスロは出すまでの過程が非常に難しく、馴染みにくいというのはあるようです。

根本的に出方や仕様が日本のパチスロとは全く違う
日本のパチスロメーカーがカジノのスロットを開発していることもありますが、根本的に出方や仕様が日本のパチスロとは全く違います。ARTのような、時間をかけて配当を出すような台がそもそも日本にしかない仕様なので、理解されにくいです。

ギャンブルにおいても、いわゆる文化の違いで、良さを伝えるのは難しいだろうなと感じています。これがパチスロが日本の文化として発展しにくい理由のではないかと、筆者は思っています。

 

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